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エリック・ロメールとマリヴォー [映画とマリヴォー]

エリック・ロメールの映画とマリヴォー喜劇との関係についてちょっと文章を書く機会がありました。
なかなか興味深いテーマなので、ブログの方でも・・・

エリック・ロメールはついこの1月に世を去ったフランスの映画監督です。
渋谷のユーロスペースで追悼特集が組まれたりしたので、
これを見た人もいるかもしれません。
見なかった人も、ロメールの映画は、いま、ほとんどがDVDで見られます。

ロメールの描く世界は、私たちの「リアルな日常」から切り取られてきたかのような、
そんなとても身近な印象を与えます。
ロメールの映画は、また、多くの観客にマリヴォー喜劇を連想させつづけてきました。
多くの観客・・・っていっても、まあ、フランスとかの観客ですけど・・・

日本では、

えーっ、この映画ってさ、なんかマリヴォーだよね

・・・っていうほど、マリヴォーが知られていない。

「リアルな日常」と古典喜劇、
これがロメール世界を特徴づける興味深いパラドックス・・・

エリック・ロメールは1920年生まれ。
長編第一作が、1959年に制作された『獅子座』です。1959年といえば、
トリュフォーの『大人は判ってくれない』、ゴダールの『勝手にしやがれ』がつくられたのもこの同じ年。
いわばヌーヴェル・ヴァーグ誕生の年ですが、
ロメールもまさにヌーヴェル・ヴァーグの旗手のひとりとして、その映画キャリアを開始しています。

『パリのランデヴー』(1995)は三つの短編からできているオムニバス映画ですが、
その第一話『7時のランデヴー』は、ロメールをまだ見たことがないんだけど、という人にお薦めの映画。

女子学生のエステルは恋人のオラースに夢中。
そのエステルに夢中なのがフェリックス。
フェリックスはエステルをパーティーに誘い、誘いを断ったエステルに、
オラースの方は別な女の子と平気でデートしているのに・・・と「告げ口」します。
初めは信じなかったエステルですが、だんだん、恋人が浮気しているかもしれないと疑いはじめて・・・
誰が誰を愛している?誰が誰と浮気している?
女子と男子の一見単純な関係がやがて奇妙に絡み合い、展開は思わぬ方向へ・・・

この映画は、16ミリ・フィルム、全編パリのロケ撮影、トラヴェリング多用など、
90年代においても、ある意味、ヌーヴェル・ヴァーグに忠実でありつづけるロメールの映画世界を、
30分という時間の中でエンブレム的に語ってくれる傑作です。

その一方で、この『7時のランデヴー』がとても演劇的作品であることが、また、面白いんです。
登場人物の名前がすべて、17世紀のフランス古典悲劇、
ラシーヌとかコルネイユの芝居からとられていたりします。

このブログやホームページsanki’s empty spaceでマリヴォーの紹介をしていて、
やっぱり芝居だから実際に芝居を見てもらいたいわけですけど、日本ではなかなか上演される機会が少ない。なんとかならないかなあ、と思っていて、なんだ、
ロメールを見る機会ならいくらでもあるじゃないか、ということに気がついたのです。

ロメールの映画は、もちろん現代の話で、ストーリーもマリヴォーとはずいぶん違う。
それでも、ロメールを見ていると、マリヴォーを見ているような気がしてくるという・・・
そういう不思議な映画です。

リュック・ボンディの演出したマリヴォーの『恋のサプライズ2』のことは
以前にこのブログでも書きました(2009/12/01)。
その公演時のインタヴューの中で、演出にはどのように取り組みましたかと聞かれたリュック・ボンディは、
エリック・ロメールの仕事を参考にしました、と答えています。

ロメール自身は、私の映画はマリヴォーよりもコルネイユに似てるんじゃないかと思う、
などとも言ってるんですが、逆に、
マリヴォー劇の演出家が、ロメールの映画を見て芝居づくりの参考にしたと言っているわけです。面白い・・・

ロメールの映画で、例えば・・・

『友達の恋人』(1987)、
『夏物語』(1996)、
『恋の秋』(1998)、
『海辺のポーリーヌ』(1983)・・・

なんかが、とりわけマリヴォー的、あるいはフランス古典劇的な感じがします。
マリヴォーと関係なくても、映画として面白いので、ぜひ見てみてください。

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『妻は女優』 [映画とマリヴォー]

東京ではなかなかマリヴォーの芝居は見られないんですけども、
フランス映画を見ていると、意外なところにマリヴォー劇が登場してびっくりします。

『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』は題名(邦題)からもわかるように、
シャルロット・ゲンズブールが出ている映画・・・というか、
シャルロット・ゲンズブールがシャルロット・ゲンズブールの役で出ている映画です。

原題は『僕の妻は女優』。
ただの「女優」ではなくて、「シャルロット・ゲンズブール」という名前を
タイトルに出した方が、日本では集客力があるということでしょうか。

(ちなみに、というか、ご存知のように、というか・・・
シャルロット・ゲンズブールはセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘です。
とてもチャーミングな女優。)

まあ、シャルロット・ゲンズブールが登場人物でもあるわけなので、
無理やりの邦題というほどでもないけれど、
邦題だけ見ると、やはりどこか無理やり感が漂うことも否めない・・・

シャルロット・ゲンズブールの夫(タイトルで「僕の妻」と言っている「僕」)を演じているのは、
イヴァン・アタルという人。この映画の監督でもあります。
この二人は実生活でも一緒に暮らしているらしく、
イヴァンは映画の中でもイヴァンとして出てきます。

といっても、
自らの「夫婦生活」を撮った赤裸々なドキュメンタリー映画というのではありません。
フィクションです。
テレンス・スタンプがイギリス人俳優の役で出てきますが、名前はジョン・・・

イヴァン(役の方の)は俳優ではなく、スポーツ記者。
俳優の仕事、あるいは業界についてはよく知らない。

俳優が映画でやっていることは、ぜんぶ嘘、虚構、フィクション。
現実とはなんの関係もない・・・くらいのところで
「妻が女優である」という事実は特に問題なく頭の中で整理されていました。

それが、ある時・・・

妻が女優っていうのも大変じゃない?他の男とキスしたり、ベッドシーンもあるし・・・などと言われ、
なに言ってんの、ぜんぶ映画の話。フィクション。
ピストルで撃って人が死んでも、本当に死んだわけじゃないんだから・・・と反論しますが、
死ぬのはもちろん本当じゃないけども、キスは実際にしてるわけだろ?
とさらに反論され・・・

この「心無い」指摘が妙に気になりはじめたイヴァン。
あれやこれやと想像は膨らみ、
現実とフィクションの境界は限りなく曖昧になり、
ついに妻の撮影現場まで乗り込んで・・・というストーリー。

さて、妻のこと、俳優のこと、を理解しようとするイヴァンは、
演劇学校に登録をして、自らも俳優というものを体験してみることにします。
で、その演劇学校のシーンで演じられているのがマリヴォーの芝居。
『善意の俳優たち』(Les Acteurs de bonne foi)。

映画のこのシーンは1分足らずのごく短いもので、
べつにマリヴォーでなくても、コルネイユでもラシーヌでも、
とにかく舞台練習風景の映像であればいいのかな、
映画的にはさして重要な意味を持つわけではないのかな、みたいにも
一見思えるのですが、いや、いや、それがなかなかあなどれない。

1分の短い場面の中に、実は、『善意の俳優たち』の第4景と第12景がうまくモンタージュして入れ込んであります(『善意の俳優たち』は1幕物の芝居で、全13景)。わざわざモンタージュするくらいだから、監督はこの芝居を意図的に選択し、編集し、挿入したに違いありません。

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