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ヴァンサン・デュメストル+マリオネット『カリギュラ』 [オペラ]

バロック・オペラのちょっと異色な公演を見てきました。
場所はパリのアテネ劇場というところ。オペラ座のすぐそばにあります。

『カリギュラ』は、カミュの『カリギュラ』ではなくて、17世紀ヴェネツィアのオペラです。
バロック・オペラの青年期というんでしょうか、
ヴィヴァルディとかは有名ですけど、あれはもう18世紀・・・
『カリギュラ』はジョヴァンニ・マリア・パリアルディという人のオペラ。
イタリア語のタイトルだと『カリーゴラ・デリランテ』・・・『狂気のカリギュラ』・・・


オペラは、はじめ宮廷とか貴族の邸とかで上演されていたのが、
やがて街の劇場で上演されるようになり、
いまのように、と言っていいんでしょうか、人々が入場料を払って見るようになる・・・
それがこのパリアルディの時代・・・だそうです。

これをヴァンサン・デュメストル+ル・ポエム・アルモニック+歌手の皆さん、
という構成で演奏します。

ル・ポエム・アルモニックはヴァンサン・デュメストルによって結成された古楽のアンザンブル。
ヴァンサン・デュメストル自身もリュートみたいな楽器を弾きながら指揮をします。
日本にも来たことがあるらしく、今年の5月にも再来日の予定だとか・・・

フランスでは、ここのところ、オペラに限らず、演劇とか、そういう広く舞台芸術的に、
バロックがけっこう魅力的に輝いていて、
当時の言葉そのままによるオペラ上演、演劇上演みたいなのも少なくないようです。
バロック・フェスティヴァルのようなものもあちこちで企画されている・・・

昔のままの復活上演、文化財保護・・・みたいな意識ではなくて、
見失われている本物のバロック・オペラや演劇を現代の舞台に甦らせることが、
ものすごくアクチュアルでクリエイティブな演劇活動である・・・みたいな・・・
そういうスタンスでバロックと向き合ってる。

で、ヴァンサン・デュメストル+ル・ポエム・アルモニックも、そういう中に位置づけられます。
彼らの、たとえば、リュリの歌劇『カドミュスとエルミオーヌ』とか・・・DVDで見られますけど、
超バロックな舞台をつくり上げています。歌も当時の言葉(発音)で歌われます。
古くて新しい、古いのが新しい・・・みたいな・・・そんな感じ。


それだけでもけっこう〝異色感”はあるんですけど、
今回はそこに、イタリアのマリオネットが加わって、舞台上のパフォーマンスは、
ミンモ・クティッキオという人の率いるマリオネット集団が担当します。

クティッキオの人形劇(プーピ)は、シチリアに伝わる伝統的なマリオネットだそうですが、
これも、文化遺産の単なる継承ではなくて、
伝統をつねに現代の中でアクチュアライズしていくみたいなことが、クティッキオのポリシー。
『カリギュラ』についても、人形からなにから今回の企画のために〝ゼロから”つくったんだそうです。
〝ゼロから”っていっても、そこには伝統がしっかりとしたベースを用意している。
やっぱり、古くて新しいということなんですね。


というわけで、かなり異色。こういう異色な企画っていうのは、
しっかりしたプロジェクトでしか実現しないわけですけれど、
これはarcal というところが企画なんかをしています。
arcal は、バロック・オペラのアクチュアルな実現・普及みたいなことを自らの使命として活動する組織。
ヴァンサン・デュメストルとは『カドミュスとエルミオーヌ』で一度組んでいて、
今回は二度目だから、さらにハードルを高くして、マリオネットを加えた、という感じでしょうか。

フランスのシャルルヴィル・メジエールというところで、確か三年に一度、
世界マリオネット・フェスティヴァルというのが行われています。
『カリギュラ』は2009年だったか(要確認)のそのフェスティヴァル参加作品として企画されたもので、
今回がパリ初演ということになります。
ちなみに、シャルルヴィルのフェスティヴァルには日本からも随分と参加しているようです。
2012年は、三年に一回という計算が正しければ、フェスティヴァルの開催年に当たります。

僕もわりと最近に知ったことなんですけど、
「人形劇」という呼び方に対して、もう少し広く、人形を使う演劇ジャンルという意味で、
「人形演劇」という呼び方が一般的になってきているらしいです。

「人形演劇」は、人形だけではなくて、
人形と役者が舞台上で一緒に芝居をする・・・そういうものも含む言い方だそうです。
「人形劇」といったのでは、広がっていく人形演劇の地平をとらえきれないということなんでしょう。

そういえば、フィスバックの演出で、フランスの俳優たちと結城人形座がコラボした
ジャン・ジュネの『屏風』なんかは、人形の方から見れば、人形演劇と考えられるわけです。

それから、これは、去年だったと思いますが、
テアトル・ド・ラ・コンプリシテ(サイモン・マクバーニー)と世田谷パブリックシアターの共同制作で、
谷崎純一郎のテクストによる『春琴』というのがありました。
あれは、少女時代の春琴に、浄瑠璃的な人形と語りの形式を使って大変にすばらしかった・・・
春琴のサディスティックな愛と、人形の“恐さ”が結びついて、息をのむように美しかった・・・
で、これも、気がつけば、人形演劇という、新しい地平に広がっていたわけです。

というわけで、『カリギュラ』も、そういう新たな人形演劇という
現代的コンテクストに自然に位置づけられると思うんですけど、
このオペラ+マリオネットという形式は、実は、
もともとバロック・オペラっていう歴史的コンテクストにのっかっているものなんだ・・・そうです。

17世紀、人々がオペラというものを劇場に見に行くようになった時代に、
オペラを人形劇で上演するというのは、オペラ公演の在り方としてわりと普通のものだった。
人形劇は子供たちだけのものではなく、大人たちが人形劇のオペラを見に行っていたわけです。
オペラとして上演された作品が、すぐに人形劇バージョンで上演されるというのも一般的だった・・・

なので、今回の『カリギュラ』でおこなわれたように、17世紀のバロック・オペラを
現代に甦らそう・・・しかもマリオネットを巻き込んで・・・という試みは、
そのプロジェクト全体がものすごくオーセンティックにバロック・オペラなのであるわけです。
そういう意味でも、古くて新しい・・・


さて、実際の舞台の感じですが・・・

オーケストラピットに、ル・ポエム・アルモニック。
ヴァンサン・デュメストルが楽器を弾きながら指揮をします。
舞台上には、人形たちのための小さな舞台がつくられています。
ボードにローマの宮殿のテラスふうな絵が描いてあって、
書割なので、ドールハウスみたいなリアルで細かいものではもちろんないですが、
ちょっと〝ドール舞台”的な、かわいい感じがします。
歌手たちはみな黒い服を着て、それぞれの役の人形が登場すると、
一緒に人形舞台の脇に(両脇に)出てきて歌います。
音楽的には、基本的にコンサート形式でやるのと同じということですが、
これにマリオネットのパフォーマンスがつく・・・

人形の大きさは、立たせた状態で・・・というのは、ひざまづくこともできるので・・・大人の腿の高さくらい。
文楽の人形とどちらが大きいのか、同じくらいなのか・・・

プーピは、ひとりの人形遣いがひとつの人形を操ります。
時には二体の人形を同時に遣うこともあります。
人形の頭のてっぺんと右手にそれぞれ長い棒がついていて、
人形遣いはこの二本の棒で人形を操ります。
人形はいつも人間の足元に並んでいるので、小さく可愛く見えますが、
持ち上げればけっこう大きいような気もします。

人形浄瑠璃のような洗練されたリアルな動きではなく、
やっぱり、子供の人形劇を思わせる素朴でナイーブな感じのパフォーマンス・・・

ただ、このオペラ自体が、カリギュラの狂気をめぐる、ちょっと荒唐無稽なお話なので、
人形上演という形式がとてもぴったりしているような気がします。
愛があり、心変わりがあり、嫉妬があり、悪意があり、策略があり、なによりも狂気がある・・・
なんですが、テーマ展開はパターン化している・・・
人形上演という形式にして、むしろ、
現代の大人の観客のための舞台になる・・・そんな印象も持ちました。
人形を使わないなら、コンサート形式での上演かな?・・・みたいな・・・


うーん、どうなんでしょう、
実は、僕にはこのオペラ公演全体がちゃんと把握できていないんです。

劇場は昔ながらのパリの劇場で、僕の席は、一階の右側舞台寄り奥のボックスの隅。
字幕はよく見えるんですけど、字幕を読んでると舞台が見えない。
人形の動きを見ていると字幕が読めない・・・
その上、時差ボケが残っていて、夜の9時10時には激しい睡魔が襲ってきて、ついウトウト・・・
というわけで、舞台も字幕も“断片的”にしかとらえられていないという・・・
テーマ展開がパターン化している・・・なんて言っても、
ちゃんとテクストを読めばそうじゃないかもしれません。

というわけで、“断片的”なレポートなんですが、
バロックというのは、そういうことでいいのかも・・・















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