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マリヴォー 『コロニー』 ついに完結! [マリヴォー]

マリヴォー『コロニー』の翻訳、
第15景から第18景までをホームページに掲載しました。
http://www012.so-net.ne.jp/sankis-es/

第18景が最終景なので、『コロニー』はこれで完結!
ぜひ読んでください。そして、ぜひ芝居をしてください。

『コロニー』は、男女の差別の問題を喜劇的に展開しているので、
「18世紀のフランスの古典だぞ」みたいなことをとくに意識しないで、
そのまま演じてけっこう面白いと思います。
ぜんぶを通して芝居にしなくても、
一部分を素材にしてワークショップ・・・みたいな使い方もあるかと思います。

160年前の芝居です。
18世紀という時代の枠は確かにあります。
『奴隷の島』のように階級差別がテーマになっている場合、
また『コロニー』のように性差別がテーマになっている場合、
現代から見て、終わり方がすこし「あまく」感じられるかもしれませんが、
これは一種の「様式」と見なすことで、劇全体があつかいやすくなるかと思います。

例えば、『コロニー』の場合、女性たちは、女性の政治参加を認めなければ、男性と一緒に暮らすことを拒否する、と宣言します。
政治レベルでの性差別撤廃のために、女性は、愛(あるいはセックス)を切り札にするわけです。
政治とエロスの混同は、ある意味、古典劇に特徴的なもので、そこが、古典劇(喜劇も悲劇も)の面白さでもあります。

けれども、この芝居をどう終わらせるかということになると、そう簡単ではありません。
はい、わかりました、これからは男女同権です、というようなラジカルな幕切れを提示しても、それでは観客たちの生きている時代とあまりにかけ離れている。
フランス革命までまだ40年ある。そのフランス革命だって女性の政治参加を確立できなかった。
女性が選挙権を持つのは20世紀です。
1750年に『コロニー』をどう終わらせるかについては、やはり1750年の「様式」というものがどうしてもあるわけです。「様式」ですから、そこに作者の「思想」や「メッセージ」を読み取るような種類のものでは必ずしもありません。

20世紀だと、やがていつの日か差別のない社会が実現するのよ、みたいな「ヒューマニズム進化論」がパワーを持っていて、そういう「進歩主義的」見方からすると、
やっぱりマリヴォーの階級意識とか性差別意識とかは「遅れている」と考えられたりもしたのですが、
でも、マリヴォー劇の面白さはべつに幕切れにあるわけではありません。

えっ?こういう終わり方するの?
ああ、でも、昔の作家だからしょうがないのかも。
こういう意識レベルがマリヴォーの「限界」なのかもね・・・って、
いえ、べつに、「限界」とかそういうことではなくて、「様式」なんだよ。
マリヴォーの面白さは、「政治とエロス」をめぐって男たちと女たちがどういうパフォーマンスをするかという、そういうところにあるので、
いわゆる「進歩主義的」な偏見にとらわれたまま『コロニー』を演出すると、全体がつまらなくなる。

21世紀の現代に生きている私たちは、世の中って差別のなくなる方向に向かっているのか、っていう、そのことにもう確信が持てないわけでしょう。
階級差なんてむしろどんどん大きくなっていくわけだし・・・
男女差別の問題は、やはりエロスが絡んでくるので、すごい複雑な議論になる、っていうか、
議論するときはエロスは脇に置いとこうよ、みたいなことになる。
草食系男子とか、そういう名前をつけてとりあえずしのいでおく。
少子化とか、そういう名前がつけば議論ができる・・・みたいな・・・
で、そういうカオス的な現代日本の男女関係の中に『コロニー』という芝居の場所があると思うんです。
「政治とエロス」で笑う芝居・・・

以下にホームページの方の『コロニー』紹介文を載せておきます。
ホームページに行かなくても、とりあえずここで読んでみてくださいな。

マリヴォー二つ目の作品は『コロニー』。
短い一幕の喜劇です。

一番目に紹介した『奴隷の島』と同じく「島もの」ですが、
「女たちの反乱」というテーマが微妙に「現代的」で、
芝居の作りも、シンプルかつストレート。
いますぐさらっと舞台にかけて、けっこう受けるような気がします。

話はというと・・・
時は現代(マリヴォーの時代)、
ある国の住民(フランス人?)が、外国の侵略を受け、祖国を捨てて逃げ出します。
逃げた先は広大な海洋。船を連ねて、新しい土地を目指しました。
18世紀といえば、フランスとイギリスが植民地でしのぎを削っていたりしますよね。
アメリカのルイジアナなんかもこの頃はフランスの植民地。
芝居のタイトル「コロニー」は、もちろん、植民地とか入植地という意味のコロニーです。
やがて、彼らはある島にたどり着き、そこで新しい国づくりを始めます。

ところが・・・
そもそも、祖国を捨てなければいけなくなった原因は、無能な政府にお粗末な法律。
すべて男たちがつくったもの・・・と、女たちは言います。
男たちは、このような事態になってもまだ、女性の意見を聞こうとせず、
またも、自分たちだけで新しい国をつくろうとしている。
女性たちよ立ち上がれ、女性たちの手で法律をつくり、女性たちの手で国をつくろう・・・

新しい島では、主人と奴隷の身分が入れ替わるのではなく、
女性と男性の力関係が逆転する・・・

この芝居には二つのバージョンがあります。
第一は1729年に初演されたもので、三幕の長いもの。
なぜか非常に評判が悪く、マリヴォーは一日上演しただけで、この芝居を引っ込めてしまいます。
今日では台本も残っておらず、芝居の初日を見た人の書きとめた「あらすじ」があるだけです。

第二は1750年に発表された一幕の短縮バージョン。ここに訳したものがそれです。
1729版の「あらすじ」から判断すると、長さだけではなく、
話の展開やキャラクターにもかなりな変更が見られるようです。

第二バージョン、つまりここに訳した『コロニー』は、マリヴォーの生前には
プロの劇団によって演じられたことは一度もありませんでしたが、
20世紀後半を過ぎてからよく上演されるようになりました。

20世紀的フェミニズムの視点から見ると、
劇の展開になにか歯切れの悪さを感じることになるのかもしれませんが、
そのフェミニズムも少し遠ざかった現在(遠ざかっていなかったらごめんなさい)、
むしろフェミニズムから解放することで、
『コロニー』の新たな可能性が広がるような気がします。


古代ギリシャの喜劇作家にアリストファネスという人がいて、
『女の議会』とか『女の平和』という作品を書いています。
マリヴォーはこれらの作品からインスピレーションを得ていますが、
アリストファネスの、ああいう下ネタ・オン・パレードみたいなことは、
マリヴォーの場合はぜんぜんなくて、
演じる方も観る方も安心して(?)いられるでしょう。

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