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マダム・バタフライのDNA [オペラ]

プッチーニの『マダム・バタフライ』はとても有名なオペラです。
ピエール・ロチの『マダム・クリザンテーム』はフランスの小説ですが、残念ながら日本ではそんなに有名ではありません。

けれども、ロチの小説を読んでからプッチーニのオペラを見た人は、
不思議なデジャ・ヴー感覚にとらわれるでしょう。
長崎の港と町を見下ろす高台の家。海軍士官が、結婚ブローカーの斡旋で日本人娘と結婚をする、その婚礼の日・・・・・・
ぜんぶ『マダム・クリザンテーム』の中ですでに出会ったものだからです。

『マダム・クリザンテーム』が刊行されたのは1887年。『マダム・バタフライ』の初演(1904年)より四半世紀も前のことです。

『マダム・バタフライ』と『マダム・クリザンテーム』は間違いなく共通のDNAを持っています。
例えば、その双子のようなタイトル・・・
バタフライは英語で蝶々。
クリザンテームはフランス語で菊。
どちらもジャポヌリー(日本の美術工芸品)にはおなじみのモチーフ。

『マダム・バタフライ』はイタリア・オペラですから、イタリア語的には『マダマ・バタフライ』ですけれども、原作はアメリカの小説で、そのタイトルが『マダム・バタフライ』。
『マダマ・バタフライ』のマダマは『マダム・バタフライ』のマダムで、『マダム・バタフライ』のマダムは『マダム・クリザンテーム』のマダムからきている・・・DNAの系譜です。

双子のように似ている『マダム・バタフライ』と『マダム・クリザンテーム』ですが、同時に、きわめて対照的な性格の持ち主です。このコントラストが、オペラを見た時の「デジャ・ヴー感覚」を奇妙に落ち着かないものにしています。それは、妹の『マダム・バタフライ』が姉の『マダム・クリザンテーム』に強く反撥しているからです・・・

というようなことも含めて、ピエール・ロチの『マダム・クリザンテーム』について原稿を書いていました・・・ので、その間ブログがぜんぜん更新できませんでした。
「異国の人」という共通テーマで3人の仲間がそれぞれの原稿を書いて持ち寄るという・・・そういう「企画」と言っていいのでしょうか、それで、僕は『マダム・クリザンテーム』について文章を書いたのです。

3月の末に本になります。本屋で見つけるのはたぶん超困難。
朝日出版というところのホームページで注文できます(たぶん4月から)。
興味のある方、ありそうな方は、ぜひ読んでください。
本が出ましたらまたお知らせします・・・って、
なんか宣伝してるみたいですが・・・明らかに宣伝してます。

『マダム・クリザンテーム』は、翻訳があることはあります。
岩波文庫の『お菊さん』がそれです。
ただ、1929年の翻訳という、とても古いものなので・・・
1929年と言えば、いまベストセラーになっている『蟹工船』の出た年です。

『マダム・クリザンテーム』は『お菊さん』とはずいぶんイメージが違います。
タイトルからすでに・・・
『お菊さん』だと、『マダム・バタフライ』のDNA的なものが見えず・・・

以下に、『マダム・クリザンテーム』について僕が書いた文章のイントロ部分を掲載します。
興味のある方、ありそうな方は、ぜひ・・・

エキゾチック

ピエール・ロチは一八八五年の夏(明治十八年)、七月から八月にかけて一ヵ月あまり、長崎に滞在します。
オカネという日本人女性と結婚し、長崎の町を見下ろす高台に住みました。
ロチ、三五歳。オカネ、十八歳。
ひと月にも満たない、驚くほど短い結婚ですが、
この奇妙な結婚から『マダム・クリザンテーム』という小説が生まれます。
『マダム・クリザンテーム』は一八八七年にロチの本国フランスで刊行され大成功を収めます。

ピエール・ロチは、本名をジュリアン・ヴィヨーといい、フランスの海軍士官でした。
ベトナムの宗主権をめぐってフランスと中国(清)が戦争をした際に、ロチの乗ったトリオンファント号がフォルモーザ(台湾)の封鎖作戦に参加します。
一八八五年の六月にフランスと中国の間に講和条約(天津条約)が結ばれると、
トリオンファント号はいったん修理のために長崎の港に入ります。
長崎入港が七月八日、ロチとオカネの結婚式は七月十七日におこなわれました。
翌十八日に警察署に届けが出され正式な許可が与えられます。この「許可」とは、
外国人が居留地の外で日本人女性と一緒に暮らしてよいという許可であったようです。
ロチは手紙で、結婚は「更新可能な一ヵ月契約」と書いていますから、
いわゆる正式な結婚をしたというのとは違います。

トリオンファント号は八月十二日に港を出て中国に向かいます。
出航命令はいつも急にやってきます。予定は初めから決まっていたものではありません。
状況によっては、滞在はひと月ではなく数ヵ月続いたかもしれません。一八八五年夏の世界情勢は、
ロチの結婚を二十六日で終わらせることになりました(小説では七十日ほどに引き延ばされています)。

ロチがなぜこのような結婚をしたのかという問に答えるのは簡単ではありませんが、
小説家ピエール・ロチにとって、この結婚が貴重な「素材」であったことは確かです。
海軍士官ジュリアン・ヴィヨーはアマチュア作家ではありません。
この時点で彼はすでに四編の小説を発表しています。
その中の二編、『アジヤデ』(一八七九)と『ロチの結婚』(一八八〇)は、
やがて六番目の小説として書かれる『マダム・クリザンテーム』とともに
エキゾチック小説三部作を構成することになります。

軍艦に乗って世界中を移動するのが海軍士官ヴィヨーの仕事です。
その「特権」を利用して、作家ロチは、遥か遠い異国、夢の土地を旅し、
エキゾチックな風物、風俗を体験し書きとめる。
そして、土地の女との果敢ない、しかし濃密なロマンス・・・・・・
これが彼のエキゾチック小説のパターンです。

『アジヤデ』は、トルコの町を舞台に、後宮から誘拐した美女アジヤデとの熱い恋の物語を語り、
『ロチの結婚』は、南海の楽園タヒチを舞台に美しき娘ララユとの愛を語る・・・・・・
実話に基づいていることがロチのエキゾチック小説の命です。
『アジヤデ』は、もともと日記が小説に発展してできたもので、日記の形式をそのまま受け継いでいます。
この形式は『マダム・クリザンテーム』でも踏襲されることになるでしょう。

小説家ロチは長崎滞在に際しても土地の女との熱いロマンスを必要としていたに違いありません。
南海の島に続いては、極東の島日本を舞台にしたロチの結婚・・・・・・
皮肉なことに、タヒチでは原始や神秘と結びついていた結婚という言葉も、
日本ではより散文的なものとならざるを得ませんでした。
ロチは、結婚ブローカーの斡旋で、十八歳のムスメと結婚します。

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