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柴幸男 『わが星』 [見た芝居]

日曜日に、青年団リンク「ままごと」の『わが星』を三鷹の芸術文化センターというところへ見に行ってきました。
09-10-11_002.jpgこれ、ものすごく面白かった。絶対おすすめ・・・って、12日でもう終わってるんだけど・・・ごめん・・・
作・演出、柴幸男さん。
青年団関連の芝居で、久しぶりに熱くなったかも。世田谷パブリックシアターで、フィスバック(フランスの演出家)が演出した『ソウル市民』(平田オリザ)を見たとき以来のような気がする・・・

写真は、芝居が始まる前の場内。なんか宇宙的に見えないですか?って、ちょっと無理やり・・・
でも、宇宙的な芝居だったんですよ。
舞台はなくて、劇場空間を観客がぐるっと取り囲む感じ。
その真ん中で役者さんたちが惑星みたいにぐるぐるぐるぐる回りつづける芝居。


僕はいま、演劇の翻訳をやってるので、芝居づくりのことなど知りたいと思って、
夏休みに、池袋のコミ・カレというところで演劇のワークショップに参加しました。
その時の講師の一人が柴幸男さん。すごい感じのいい人で、
こんな才能ある人とは知らなかった。
いや、これら二つって、べつに相反するものではないんだけど・・・すいません・・・

その時ワークショップでやったのは、舞台上を二人の人間がずうっと歩きつづけるというパフォーマンス。
先頭を歩いている人が舞台から消えると、反対側からべつの人が入ってくる。
いま舞台から消えた人と、いま入ってきた人は、もちろん違う人だけれど、芝居的には同じ役を演じている。
いま前を歩いている人は、いま入ってきた人の後ろを歩いているという趣・・・
わかる?・・・

で、いま前を歩いている人が舞台から消えると、反対側から、またべつの人が入ってくる。
いま舞台から消えた人と、いま入ってきた人は、同じ役を演じている。
いい?・・・

というわけで、舞台上では、同じ二人の人物(役)が、いつまでも歩きつづけながら二人でずうっと話しつづける・・・

ところが、僕には何回やってもこれがうまくできなかった。
僕が普通に持っている「演劇」のイメージとはなにか異質のものなんですよ。
やってることの意味がぜんぜんわからない、みたいな・・・

その時に、柴さんがこの『わが星』の宣伝をしていたので、
やってることの意味がぜんぜんわからないなりに、
面白そうだったので、見に行ってみることにしたのです。

その『わが星』レポート・・・

カウントダウン
最初にステージマネージャーみたいな人が登場して、
「芝居は、途中4秒の休憩をはさんで80分。では、あと4秒で明かりが消え、芝居が始まります」
みたいなことを言います。
そして、4秒のカウントダウン・・・そして、真っ暗になる。

闇から生まれたように現れる8人の役者たち
(7人だったかも・・・そこんとこ重要なんだけど、数えてなかった)。
芝居の始まりは、宇宙の誕生。ビッグバン・・・

というよりも、この芝居、基本的に天動説を採用しているので、
宇宙の誕生とは地球の誕生。
4秒のカウントダウンののちに宇宙(地球)が生まれ、
生まれると同時に、消滅(芝居の終わり)に向かって
80分のカウントダウンが始まる。

時を刻むのはリズム。音楽の早いリズム。
時には時報の音になり、時には心臓の音になる。

円環の時間と直線の時間
役者たちは地上に描かれた円のまわりを回りはじめます。
物理的法則に従って回る惑星のように、
ラッシュアワーの山手線のように。

二人が輪を抜けて中心に近付く、彼らと入れ違いに、
べつの二人が輪を抜けて輪の中心に近付き、
中心から離れた二人は、回りつづける輪の中に戻る。
その完璧なタイミング。シンクロ・・・
『青木さん家の奥さん』に欠如していたスキル。高い高いスキル。
これだけで芝居終わっちゃっても、かなり満足して帰っちゃうぞ、くらいのパフォーマンス。


カウントダウンが始まっちゃってるのだから、時間は動き続けている。
回転運動はもちろん時間の隠喩。
めぐる時間。円環の時間。一週間とか、一年とか、
ぐるっと回ってまた最初に戻る時間。そう、ちいちゃんの誕生日とか・・・

ちいちゃんは、女の子、芝居の登場人物で、たぶん地球が人間化した存在。
地球とともに生まれ、地球とともに消滅する女の子。

けれど、宇宙はビッグバンとともに誕生したのだから、
絶え間なく膨張をつづけている。
絶え間なく膨張をつづける世界の中では
すべての「もの」と「もの」の距離が少しずつ離れていく。
ちいちゃんとちいちゃんの友達の距離のように。
そして、ちいちゃんは、誕生日がめぐって来るたびに、成長しなければならない。
死に向かって老いてゆかなければならない。
直線の時間。

レ・コスミコミケ
イタリアの作家カルヴィーノも宇宙の物語を語っています。
彼のビッグバンはこうです・・・

ビッグバン以前には空間というものがなかった・・・
そう、そう、あの頃は、本当に場所がなかった。
狭いところで、みんな、こう、ひしめき合っていた。
ある時、アンナ叔母さん(アンナではなかったかも)がこう言ったんだ。
ほんとうに狭くていやね。もう少しスペースがあったら、
みんなにおいしいパスタをつくってあげられるのに・・・
その瞬間、アンナ叔母さんのまさにその限りない優しさのために、
宇宙はビッグバンとともに膨張を始めたのだ・・・と・・・

柴幸男の宇宙もそのような宇宙です。
ただし家族構成は、カルヴィーノ的大家族ではなくて、
ものすごく「昭和」的な核家族プラスおばあちゃんひとり。

住んでるところは団地。

ちいちゃんんと、ちいちゃんのお姉ちゃんと、
お父さんとお母さんと、それにおばあちゃん。
このおばあちゃんは男優さんがやってるんだけど、
そして、べつに特殊メイクもなくほぼ素のままなのだけれど、
おばあちゃんにしか見えない・・・すごい・・・

セリフとラップ
すべてがカウントダウンの中で動いているので、
あらゆる動きがあらかじめ計算され、決められているのだろうかと思ったりしてしまいます。
例えば、彼女は628小節目で立ち上がって歩きだすのだろうか、って・・・
まさかね・・いや、でも、これって、みんな
ジャズみたいに、頭の中で小節を数えてるのかもしれないじゃない・・・

じゃあ、セリフは?
セリフもオペラのように、
すべてが時間軸の上に位置づけられているんだろうか?・・・

確かに、長台詞が始まると、それはほとんどラップにしか聞こえない。

食卓を囲むという「リアル」
コンテンポラリー・ダンスを思わせるこの高レベル・パフォーマンスと、
このちゃぶ台を囲む一家団欒というストーリー性の
ギャップがすごいと思う。

ビッグバンによって膨張し続ける宇宙の中心は、やっぱり
ちゃぶ台なのだという強引さは、やっぱり笑ってしまうでしょ?
わざと笑わせようとしてるのかもしれないけど・・・

これが平田オリザ/青年団の「リアル」の系譜・・・みたいなもんなんだろうか?

っていうのか、やっぱりこのギャップが面白いんだよね、きっと・・・

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