マリヴォー 『奴隷の島』 3 [マリヴォー]
「時間堂」はただいま10月21日から始まる smallworld'send の猛練習中。
昨日は、『奴隷の島』の稽古日だったので、また稽古場におじゃましました。
写真は「王子スタジオ1」。稽古場でもあり、またここが公演会場にもなります。
いま、アルレッキーノ(赤いシャツ)とイフィクラテスが難破して奴隷の島に流れついたシーンの練習中。
椅子に座っているのが演出家の黒澤世莉さん。
右端にちょっと水色のシャツが見えているのがユーフロジーナ。
左端に光って見えるのが道路傍の自販機。
通行人その1が自転車でスタジオ前を駆け抜けていきます。
芝居が実際につくられていくプロセスに立ち会えることは、とても貴重な体験です。
次から次へと目から鱗が落ちていきます。
鱗は一体何枚あったんだ、いや、まだあとどれくらい残っているんだという・・・
前回おじゃました時は、稽古が始まって間もないころ。みんな自由にはじけている感じで、
稽古そのものがパフォーマンスとして見ていて楽しかった。
昨日は、役者さんたちが、ちょっと全体のイメージみたいなものを意識し始めたフェーズのよう。
模索感というのか、迷い感というものがあって、
ああ、これがまさに芝居の「生成」というものなのか、とまたまた感心して・・・
『奴隷の島』を見に来てくれる人たちのほとんどにとって、
マリヴォーは初体験なのだろう、ということは理解していました。
でも、そういえば、マリヴォーを演ずる役者さんたちにとっても、
マリヴォーは初体験なんだ、ということをぜんぜん理解していませんでした。
考えてみれば当たり前のことだったんですよね。
マリヴォーの芝居なんて、っていうか、フランス古典劇なんて
演る機会がない、というよりも、そもそも見る機会がないんだから・・・
古典劇というとなにか堅苦しい感じがしますよね。むずかしい、楽しくない、喜劇なのに笑えない・・・
古典劇というとシェークスピアとかをまず思い浮かべる?それから、シェークスピアって言うと、とりあえず蜷川シェークスピアとか思い浮かべる?・・・
古典というと、あと、チェーホフ、それからイプセン?・・・このあたりは近代演劇・・・
でも、いま黒澤世莉さんが『奴隷の島』でやろうとしているのは、なにか新しい演劇領域の開拓の試みである、ような気が、僕にはしています。
もしみなさんが古典というものに、なにかあるイメージをもっていたとしたら、
たぶん、そのイメージを裏切ろうとするもの・・・
フランス18世紀、17世紀の喜劇や悲劇の、フランスでのありかたというのは、
例えば日本の能や歌舞伎のような伝統演劇とは違います。
芸を代々伝え、型を大事にまもっていくというようなものではありません。
僕が近年に見て面白かったマリヴォーは、『恋のサプライズ2』(2というのは1があるから)という芝居で、演出家はリュック・ボンディというドイツ人、つまり「外人」です。
2007-2008 のシーズンにテアトル・デ・ザマンディエというところでかかって、大人気を取り、
2008-2009 のシーズンには、ピーター・ブルックの劇場ブッフ・デュ・ノールで再演されました。写真はパリ郊外ナンテールというところにあるアマンディエ座。
ブッフ・デュ・ノール座は、僕のホームページに劇場の写真を使っているので、そちらをご覧ください。
ナンテールにしても、ブッフ・デュ・ノールにしても、古典劇はとても、「人なつっこい」かたちで観客の前に現れます。人々は「お勉強」しにいく訳ではありません。スノッブな気取りから古典をたしなみにいく訳でもありません。
ただ友人と、家族と、あるいはひとりで、楽しい夕べを、楽しい週末を過ごしに行きます。
僕がナンテールにこの芝居を見に行った日は大雨で、劇場は地下鉄の駅からシャトルバスに乗らないと行けないようなちょっと不便なところにあり、芝居がはねた後、シャトルバスはなかなか来ず、来てもいっぱいで乗り切れなかったりして、フランス人だから、当然スタッフに文句を言って・・・もっとシャトルバスの数を増やすべきよ・・・こんなにバスの数が少ないって知っていたら車で来たわ・・・
でも、でも、人々はナンテールにやってきて、リュック・ボンディの『恋のサプライズ2』を見て、
至福ともいうべき時間を過ごし、その幸福を抱いて雨の中を帰っていく・・・
リュック・ボンディはドイツの演出家ですが、役者はフランスの若者たちです。
テクストは18世紀の原文。フランス語は日本語ほど大きく変化はしていませんが、
それでも、まあ「古文」(その意味では、日本語翻訳上演の方が、現代語を使えるので有利かも)、
しかし、それでもものすごく「人なつっこい」のです。
従僕のリュバン(『奴隷の島』だと、アルレッキーノの役どころ)は自転車に乗って
舞台に登場します。しかも、かなりカッコいい自転車。
侯爵夫人(夫を亡くしたばかり)とシュヴァリエ(恋人を失くしたばかり)は隣人同士。
小さなキャビンで表された彼らの家は、二人の気持が近付くと、舞台上をすうっと横に動いて接近し、
二人の気持が離れると、またすうっと離れていきます。
もうひとつ、これはマリヴォーではなくてモリエールなんですが、
2007-2008 のシーズンに見た『才女気取り』。
コメディー・フランセーズのアネックスにヴュー・コロンビエ座というところがある。
コメディー・フランセーズというと保守的な感じがしますが、近頃はそうでもなく、
演出家はダン・ジェメット、イギリス人、これも「外人」。
モリエールの時代の「才女気取り」というのは、今だと例えば「トレンディ気取り」みたいな感じ(?)
ダン・ジェメットは「才女」的側面を徹底的にファッションにシフトして、主人公のお嬢様姉妹を、
超ブランド志向ぶっとび姉妹に変身させ、これを1960、70年代イギリスファッション・デザイン空間の中に放り込む。
音楽ももちろんブリティッシュ・・・
こうした古典の存在の仕方というのは日本ではなかなかイメージしにくい。
むしろ、オペラの演出なんかをイメージするとつかみやすいかもしれない。
同じ『フィガロの結婚』(これも原作はフランス18世紀喜劇なんですよ)でも、
ミュンヘンが来る、ドレスデンが来る、パリが来る、とかで、ぜんぜん演出が違う。
18世紀的雰囲気のものから、超今風のものまで(ピーター・セラーズがその走りでしたが)
さまざま。こんどの『フィガロ』はどんなのだろう的な楽しみ方ができる。
演劇の場合もそうで・・・
(ちなみに、リュック・ボンディも、2008-2009 のシーズンにパリのオペラ座でモーツアルトの『イドメネオ』を演出しています。)
で、そういうのが日本でもあったら楽しくないですか?
というわけで、黒澤世莉さんの『奴隷の島』・・・
「ネタバレ」しないようにこの辺でやめておきましょう。
写真は、昨日の稽古が終って掃除の途中。
なにもない空間 empty space
ここで10月21日からマリヴォー開演!
みんな見に行ってね。
昨日は、『奴隷の島』の稽古日だったので、また稽古場におじゃましました。
写真は「王子スタジオ1」。稽古場でもあり、またここが公演会場にもなります。
いま、アルレッキーノ(赤いシャツ)とイフィクラテスが難破して奴隷の島に流れついたシーンの練習中。
椅子に座っているのが演出家の黒澤世莉さん。
右端にちょっと水色のシャツが見えているのがユーフロジーナ。
左端に光って見えるのが道路傍の自販機。
通行人その1が自転車でスタジオ前を駆け抜けていきます。
芝居が実際につくられていくプロセスに立ち会えることは、とても貴重な体験です。
次から次へと目から鱗が落ちていきます。
鱗は一体何枚あったんだ、いや、まだあとどれくらい残っているんだという・・・
前回おじゃました時は、稽古が始まって間もないころ。みんな自由にはじけている感じで、
稽古そのものがパフォーマンスとして見ていて楽しかった。
昨日は、役者さんたちが、ちょっと全体のイメージみたいなものを意識し始めたフェーズのよう。
模索感というのか、迷い感というものがあって、
ああ、これがまさに芝居の「生成」というものなのか、とまたまた感心して・・・
『奴隷の島』を見に来てくれる人たちのほとんどにとって、
マリヴォーは初体験なのだろう、ということは理解していました。
でも、そういえば、マリヴォーを演ずる役者さんたちにとっても、
マリヴォーは初体験なんだ、ということをぜんぜん理解していませんでした。
考えてみれば当たり前のことだったんですよね。
マリヴォーの芝居なんて、っていうか、フランス古典劇なんて
演る機会がない、というよりも、そもそも見る機会がないんだから・・・
古典劇というとなにか堅苦しい感じがしますよね。むずかしい、楽しくない、喜劇なのに笑えない・・・
古典劇というとシェークスピアとかをまず思い浮かべる?それから、シェークスピアって言うと、とりあえず蜷川シェークスピアとか思い浮かべる?・・・
古典というと、あと、チェーホフ、それからイプセン?・・・このあたりは近代演劇・・・
でも、いま黒澤世莉さんが『奴隷の島』でやろうとしているのは、なにか新しい演劇領域の開拓の試みである、ような気が、僕にはしています。
もしみなさんが古典というものに、なにかあるイメージをもっていたとしたら、
たぶん、そのイメージを裏切ろうとするもの・・・
フランス18世紀、17世紀の喜劇や悲劇の、フランスでのありかたというのは、
例えば日本の能や歌舞伎のような伝統演劇とは違います。
芸を代々伝え、型を大事にまもっていくというようなものではありません。
僕が近年に見て面白かったマリヴォーは、『恋のサプライズ2』(2というのは1があるから)という芝居で、演出家はリュック・ボンディというドイツ人、つまり「外人」です。
2007-2008 のシーズンにテアトル・デ・ザマンディエというところでかかって、大人気を取り、
2008-2009 のシーズンには、ピーター・ブルックの劇場ブッフ・デュ・ノールで再演されました。写真はパリ郊外ナンテールというところにあるアマンディエ座。
ブッフ・デュ・ノール座は、僕のホームページに劇場の写真を使っているので、そちらをご覧ください。
ナンテールにしても、ブッフ・デュ・ノールにしても、古典劇はとても、「人なつっこい」かたちで観客の前に現れます。人々は「お勉強」しにいく訳ではありません。スノッブな気取りから古典をたしなみにいく訳でもありません。
ただ友人と、家族と、あるいはひとりで、楽しい夕べを、楽しい週末を過ごしに行きます。
僕がナンテールにこの芝居を見に行った日は大雨で、劇場は地下鉄の駅からシャトルバスに乗らないと行けないようなちょっと不便なところにあり、芝居がはねた後、シャトルバスはなかなか来ず、来てもいっぱいで乗り切れなかったりして、フランス人だから、当然スタッフに文句を言って・・・もっとシャトルバスの数を増やすべきよ・・・こんなにバスの数が少ないって知っていたら車で来たわ・・・
でも、でも、人々はナンテールにやってきて、リュック・ボンディの『恋のサプライズ2』を見て、
至福ともいうべき時間を過ごし、その幸福を抱いて雨の中を帰っていく・・・
リュック・ボンディはドイツの演出家ですが、役者はフランスの若者たちです。
テクストは18世紀の原文。フランス語は日本語ほど大きく変化はしていませんが、
それでも、まあ「古文」(その意味では、日本語翻訳上演の方が、現代語を使えるので有利かも)、
しかし、それでもものすごく「人なつっこい」のです。
従僕のリュバン(『奴隷の島』だと、アルレッキーノの役どころ)は自転車に乗って
舞台に登場します。しかも、かなりカッコいい自転車。
侯爵夫人(夫を亡くしたばかり)とシュヴァリエ(恋人を失くしたばかり)は隣人同士。
小さなキャビンで表された彼らの家は、二人の気持が近付くと、舞台上をすうっと横に動いて接近し、
二人の気持が離れると、またすうっと離れていきます。
もうひとつ、これはマリヴォーではなくてモリエールなんですが、
2007-2008 のシーズンに見た『才女気取り』。
コメディー・フランセーズのアネックスにヴュー・コロンビエ座というところがある。
コメディー・フランセーズというと保守的な感じがしますが、近頃はそうでもなく、
演出家はダン・ジェメット、イギリス人、これも「外人」。
モリエールの時代の「才女気取り」というのは、今だと例えば「トレンディ気取り」みたいな感じ(?)
ダン・ジェメットは「才女」的側面を徹底的にファッションにシフトして、主人公のお嬢様姉妹を、
超ブランド志向ぶっとび姉妹に変身させ、これを1960、70年代イギリスファッション・デザイン空間の中に放り込む。
音楽ももちろんブリティッシュ・・・
こうした古典の存在の仕方というのは日本ではなかなかイメージしにくい。
むしろ、オペラの演出なんかをイメージするとつかみやすいかもしれない。
同じ『フィガロの結婚』(これも原作はフランス18世紀喜劇なんですよ)でも、
ミュンヘンが来る、ドレスデンが来る、パリが来る、とかで、ぜんぜん演出が違う。
18世紀的雰囲気のものから、超今風のものまで(ピーター・セラーズがその走りでしたが)
さまざま。こんどの『フィガロ』はどんなのだろう的な楽しみ方ができる。
演劇の場合もそうで・・・
(ちなみに、リュック・ボンディも、2008-2009 のシーズンにパリのオペラ座でモーツアルトの『イドメネオ』を演出しています。)
で、そういうのが日本でもあったら楽しくないですか?
というわけで、黒澤世莉さんの『奴隷の島』・・・
「ネタバレ」しないようにこの辺でやめておきましょう。
写真は、昨日の稽古が終って掃除の途中。
なにもない空間 empty space
ここで10月21日からマリヴォー開演!
みんな見に行ってね。
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