黒澤世莉『スモールワールズエンド』 [見た芝居]
「時間堂」公演smallworld’send(黒澤世莉演出)の本番を、この月曜日ようやく見ることができました。と言っても、18時から始まる第1部には間に合わず、第1部が終わったところからの観劇でしたが・・・
この公演は3部に分かれていて、
第1部『星々を恐れよ』(アゴタ・クリストフ、60分)、
第2部『工場のもめごと』(ハロルド・ピンター、5分)、『熊』(チェーホフ、35分)、『かんしゃく玉』(岸田國士、15分)、
第3部『奴隷の島』(マリヴォー、70分)、
途中15分ほどの休憩を2回はさみます・・・
と、これはBプロの方で、Aプロだと、上演順序がこれと正反対になります(第2部の中でも順番が逆になる)。月曜日はBプロだったので、第1部に遅れた僕は『星々を恐れよ』を見逃したことになりますが、これは、あらためて見に行くことにします。
見逃しちゃもったいないでしょう・・・って、普通ならそうなんですが、実は、この公演については、むしろこういう見方が公演コンセプトの中に組み込まれています。
短いとはいえ5篇の芝居、休憩を含めて4時間かかります。いっぺんに見ようとすればそれはなかなか大変。
そういうプログラムをわざわざ組むというのには、
好きなときに来て、その時やってる芝居を見て、また好きなときに帰る、
見なかったところは、またこんど来た時に見ればいいよ・・・っていう、
そういう芝居のあり方もいいんじゃない?
そういう芝居の見方もありなんじゃない?
というコンセプトが基本にあるからです。
好きな時と言っても、まあ、実際には、最初からじゃなければ、途中2回の休憩の間なんですけど・・・
芝居を見たいなと思ったときに、ふらっと出かけていく場所。
行くたびに、いくつもの芝居たちが、あたたかく、人なつっこくむかえてくれる場所。
それが『スモールワールズエンド』。小さな世界の果て・・・
そういうコンセプトですから、料金の方も、2回目以降は1000円という割引料金が設定してあります(1回目の切符を持っていってください)。毎日のように顔を見せる「常連さん」もいるらしい・・・
「小さな世界」の「人なつっこさ」をとりわけ感じさせてくれるのが、休憩時間。
一幕というのか、ひとつの部(1部、2部)が終わると、舞台の上にふたつの大きな衣装スタンドがごろごろごろっと登場します。カラフルな衣装がずらりと並んでいる。俳優たちはそこから、次の芝居の舞台衣装を選んでざわざわと着替えを始めます。キャンディとビスケットの籠をもって客席を回っているスタッフ。長丁場なのでどうぞ、甘いものを・・・
トイレに行きたい観客は、トイレが舞台の向こう側にあるので、動き回る役者たちとクロスする・・・
上演中は飲み食い自由で、キーワードはリラックス。
舞台は平土間、床にブルーのテープで境界線が引かれている。その境界の内側でやがて静かに劇が始まる。境界の外はすぐに現実空間。出番を待つ役者たち、舞台から「下りた」俳優たちが、色とりどりのクッションの上に座っている。
客席は平土間から3、4段の階段をつくって上っていきます。振り返れば王子の街が見える。会場の「王子スタジオ1」はガラス張り(写真)。行き交う車の音と、人の声が、役者たちの声と重なる・・・小さかった頃のお祭りを思い出す・・・
“smallworld’send”
『スモールワールズエンド』
このタイトルの意味はよくわかりません。
(黒澤さんに聞いてみればいいんですが、なぜか聞きそびれて・・・)
チラシとパンフを読むと、ヒントのようなものが書かれています:
私たちは、この広い世界の果てで、毎日生まれて、そして死んでいく・・・
あっ、”small” には「広い」っていう意味があったのか、っていま思った人、
そんな意味はありません。僕自身が辞書を引いたので確かです。
・・・・・
私たちは、この広い世界の果てで、毎日生まれて、そして死んでいく・・・
まあ、ヒントと言えばヒントみたいなのですが、
このヒントから僕の頭に思い浮かんだのは、
わたしたちはどこから来て、そしてどこに行くのか・・・
ちょっと違いますね・・・
小さな世界とは、ひとつひとつの芝居のことなのでしょうか。
ふっと、生まれたかと思うと、ふっと、また消えていく、小さな世界たち・・・
わからないけれど、少なくとも、『スモールワールズエンド』にとって重要なことは、4時間という時間の中で、5つの「短編」がつながっていること。5つの世界が万華鏡のようにきらきらとまわっていること・・・
『工場でのもめごと』・・・
この5分の芝居は、きっとだれもが愛さずにはいられないと思う。
ただし、俳優さんにとっては、大変な集中力を必要とするハードなお芝居。
一度でも「噛ん」だら、それでこの芝居は台無しになるから。
そう、その時にそれは死んでしまうから。
テンポ、テンポ、テンポ。流れるように、すべるように・・・
第2部から、つまりこのハロルド・ピンターの短編から見はじめた僕にとって、『スモールワールズエンド』は、この「テンポ」に支配されてるように感じられました。
感情をゆるやかに熟成させるのではなく、
言葉たちよ、この飛ぶようなスピードに一切をまかせるがよい!
いやいや、そんな迂闊なことを言う前に、『星々を恐れよ』を見ないと・・・
それに、『スモールワールズエンド』は日々変容するのです。
『スモールワールズエンド』のもうひとつのキーワードはワークインプログレス。
観客のいないところに演劇も存在しないのである以上、日々姿を変える観客のリアクションとともに俳優たちも姿を変える。
それは、未完成なものを提示することではなく・・・
「未完成」とはその対概念として「完成」というものを前提にしています。
私たちはいま、すべての創造行為において「完成」というものが存在しないのだということに気づきはじめている。創造行為とは果てしない生成の中にあるのだと・・・
古典をあらたな生成の流れに巻き込んでいく黒澤世莉の『スモールワールズエンド』は、だから面白く、そして重要なのです。
だから、それは何度も見るに値する。2回目以降は1000円です!
写真は黒澤世莉さん。カメラを忘れたので携帯で撮りました。よくわかりません。
この公演は3部に分かれていて、
第1部『星々を恐れよ』(アゴタ・クリストフ、60分)、
第2部『工場のもめごと』(ハロルド・ピンター、5分)、『熊』(チェーホフ、35分)、『かんしゃく玉』(岸田國士、15分)、
第3部『奴隷の島』(マリヴォー、70分)、
途中15分ほどの休憩を2回はさみます・・・
と、これはBプロの方で、Aプロだと、上演順序がこれと正反対になります(第2部の中でも順番が逆になる)。月曜日はBプロだったので、第1部に遅れた僕は『星々を恐れよ』を見逃したことになりますが、これは、あらためて見に行くことにします。
見逃しちゃもったいないでしょう・・・って、普通ならそうなんですが、実は、この公演については、むしろこういう見方が公演コンセプトの中に組み込まれています。
短いとはいえ5篇の芝居、休憩を含めて4時間かかります。いっぺんに見ようとすればそれはなかなか大変。
そういうプログラムをわざわざ組むというのには、
好きなときに来て、その時やってる芝居を見て、また好きなときに帰る、
見なかったところは、またこんど来た時に見ればいいよ・・・っていう、
そういう芝居のあり方もいいんじゃない?
そういう芝居の見方もありなんじゃない?
というコンセプトが基本にあるからです。
好きな時と言っても、まあ、実際には、最初からじゃなければ、途中2回の休憩の間なんですけど・・・
芝居を見たいなと思ったときに、ふらっと出かけていく場所。
行くたびに、いくつもの芝居たちが、あたたかく、人なつっこくむかえてくれる場所。
それが『スモールワールズエンド』。小さな世界の果て・・・
そういうコンセプトですから、料金の方も、2回目以降は1000円という割引料金が設定してあります(1回目の切符を持っていってください)。毎日のように顔を見せる「常連さん」もいるらしい・・・
「小さな世界」の「人なつっこさ」をとりわけ感じさせてくれるのが、休憩時間。
一幕というのか、ひとつの部(1部、2部)が終わると、舞台の上にふたつの大きな衣装スタンドがごろごろごろっと登場します。カラフルな衣装がずらりと並んでいる。俳優たちはそこから、次の芝居の舞台衣装を選んでざわざわと着替えを始めます。キャンディとビスケットの籠をもって客席を回っているスタッフ。長丁場なのでどうぞ、甘いものを・・・
トイレに行きたい観客は、トイレが舞台の向こう側にあるので、動き回る役者たちとクロスする・・・
上演中は飲み食い自由で、キーワードはリラックス。
舞台は平土間、床にブルーのテープで境界線が引かれている。その境界の内側でやがて静かに劇が始まる。境界の外はすぐに現実空間。出番を待つ役者たち、舞台から「下りた」俳優たちが、色とりどりのクッションの上に座っている。
客席は平土間から3、4段の階段をつくって上っていきます。振り返れば王子の街が見える。会場の「王子スタジオ1」はガラス張り(写真)。行き交う車の音と、人の声が、役者たちの声と重なる・・・小さかった頃のお祭りを思い出す・・・
“smallworld’send”
『スモールワールズエンド』
このタイトルの意味はよくわかりません。
(黒澤さんに聞いてみればいいんですが、なぜか聞きそびれて・・・)
チラシとパンフを読むと、ヒントのようなものが書かれています:
私たちは、この広い世界の果てで、毎日生まれて、そして死んでいく・・・
あっ、”small” には「広い」っていう意味があったのか、っていま思った人、
そんな意味はありません。僕自身が辞書を引いたので確かです。
・・・・・
私たちは、この広い世界の果てで、毎日生まれて、そして死んでいく・・・
まあ、ヒントと言えばヒントみたいなのですが、
このヒントから僕の頭に思い浮かんだのは、
わたしたちはどこから来て、そしてどこに行くのか・・・
ちょっと違いますね・・・
小さな世界とは、ひとつひとつの芝居のことなのでしょうか。
ふっと、生まれたかと思うと、ふっと、また消えていく、小さな世界たち・・・
わからないけれど、少なくとも、『スモールワールズエンド』にとって重要なことは、4時間という時間の中で、5つの「短編」がつながっていること。5つの世界が万華鏡のようにきらきらとまわっていること・・・
『工場でのもめごと』・・・
この5分の芝居は、きっとだれもが愛さずにはいられないと思う。
ただし、俳優さんにとっては、大変な集中力を必要とするハードなお芝居。
一度でも「噛ん」だら、それでこの芝居は台無しになるから。
そう、その時にそれは死んでしまうから。
テンポ、テンポ、テンポ。流れるように、すべるように・・・
第2部から、つまりこのハロルド・ピンターの短編から見はじめた僕にとって、『スモールワールズエンド』は、この「テンポ」に支配されてるように感じられました。
感情をゆるやかに熟成させるのではなく、
言葉たちよ、この飛ぶようなスピードに一切をまかせるがよい!
いやいや、そんな迂闊なことを言う前に、『星々を恐れよ』を見ないと・・・
それに、『スモールワールズエンド』は日々変容するのです。
『スモールワールズエンド』のもうひとつのキーワードはワークインプログレス。
観客のいないところに演劇も存在しないのである以上、日々姿を変える観客のリアクションとともに俳優たちも姿を変える。
それは、未完成なものを提示することではなく・・・
「未完成」とはその対概念として「完成」というものを前提にしています。
私たちはいま、すべての創造行為において「完成」というものが存在しないのだということに気づきはじめている。創造行為とは果てしない生成の中にあるのだと・・・
古典をあらたな生成の流れに巻き込んでいく黒澤世莉の『スモールワールズエンド』は、だから面白く、そして重要なのです。
だから、それは何度も見るに値する。2回目以降は1000円です!
写真は黒澤世莉さん。カメラを忘れたので携帯で撮りました。よくわかりません。
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