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ストレーレルの『奴隷の島』 [見た芝居]

ストレーレルの『奴隷の島』を見たのは、いまからもう10年以上も前、1995年のことです。
パリのオデオン座という劇場でした。

写真に写っているのがそのオデオン座ですが、
この写真は2年ほど前に撮ったもので、当時のものではありません。
1995年当時といえば、まだデジカメもない時代で、カメラを持って歩くという習慣もありませんでした。
デジカメがなかったなんて・・・やはり、ずいぶん昔のことですよね。
IMG_0227_edited-1.jpg
ストレーレルの『奴隷の島』はイタリア語で上演されました。

ストレーレルは、ご存知の方も多いと思いますが、
イタリア人の演出家で、ミラノ・ピッコロ座の主宰。
1997年に亡くなっています。
僕が『奴隷の島』を見た2年後ということになります。

亡くなっていますが、ゴルドーニの
『アルレッキーノ――二人の主人を一度に持つと』の演出などは、「定番」として残されていて、この夏に世田谷のパブリックシアターでも上演されました。
ご覧になった方もおられるでしょう。

パブリックシアターの公演では字幕が付いていましたが、
オデオン座の『奴隷の島』には字幕がありませんでした。
だから、ストレーレルの『奴隷の島』がどこまで「わかった」のかはわかりません。
でも、それは素晴らしかったのです。

あまりに素晴らしかったので、もう一度見に行きました。
どうしてそれが可能だったのかはよく覚えていません。
芝居は大人気を集め、僕が一回目に行ったときに、すでに、
劇場が用意したパンフレットがもうなくなっていたくらいでしたから・・・

あのイタリア語の『奴隷の島』との出会いがなければ、
このフランス古典喜劇を日本語に訳そうなどと思うこともなかったはずです。
ストレーレルの演出のどこがそれほど素晴らしかったのか?
それを思い出そうとしますが、
10年以上の時が経って、記憶はあまりはっきりしません・・・

舞台は質素なものでした。舞台装置というようなものはなかったと思います。
衣装も地味なものだったと思う。昔の川久保玲くらいの地味さ加減だった・・・ような・・・

衣装それ自体より、舞台の上で衣装を取り替えることが演出の大きなポイントで・・・

この芝居では、主人と召使いというペアが、男子ペア、女子ペアのふた組でてきます。
乗っていた船が難破して、4人は「奴隷の島」に流れ着く。そして、
島のルールにより、それぞれ、主人と召使いという権力関係が逆転することになる・・・というのがストーリー。
権力の逆転は、主人と召使いが来ている服を取り替えるということで明確に視覚化されるわけなんです。
それで、ストレーレルの演出では、この4人の若者たちは、基本、裸なんですよ。
裸だと、男子ペアも女子ペアもそれぞれ双子のようなカップルで、主人と召使いの区別がつかない。
これが裸で出てきて服を着る、裸になって服を取り替える、また裸になって服を取り替える、みたいな・・・
裸が基本。

なにもない空間に、裸の身体が出てきて、これが衣装を着る、脱ぐ、取り替える、っていう最小限のことしかしない。
最小限といっても、意味は大きいんだけど。
あとは言葉と身体の動きでしょう・・・
これが、ものすごく演劇的なんですよ。

あっ、演劇ってこういうことなんだよね。
それは、18世紀のフランス喜劇でもなんでも、やっぱりそうなんだよね、っていう・・・

こっち側(客席)と同じ身体があっち側(舞台)にあって、でも、あっち側は虚構の空間で、
でも、そっち側にある身体の具体性っていうのはこっち側と同じなわけ。
その具体性っていうのは、リアリティとか言ってもいいんだけど、
「奴隷の島」とか、そういうストーリーの「ありえなさ加減」とは関係ないんだ。

荒唐無稽だろうがなんだろうが、そういうのは演劇的リアリティと違うところにある。
その虚構をどれくらい具体的に役者の身体が生きているかっていう、そのことに感動する。

あと、もうひとつ。
ストレーレルがこの演出に持ち込んだのが、コメディアデラルテとか、そういうイタリア演劇の身体性。

アルレッキーノというコメディアデラルテのキャラクター(パブリックシアターのゴルドーニにも出ていた)が、『奴隷の島』にも、召使いの役で登場する。
アルレッキーノは普通、色とりどりのひし形パッチワーク衣装を着て、仮面をかぶっている。
『奴隷の島』では、これが昔の川久保玲か・・・まあ…けっこう地味な格好で、
仮面も付けていないんだけれど、
その動きは、コメディアデラルテのアルレッキーノそのもの。速く、そして軽く・・・

面白いのは、このアルレッキーノは、ストレーレルが勝手に登場させているのではなくて、
もともとマリヴォーのこの芝居に出てくるキャラクターだということなのね。
仮面も付けていた。

マリヴォーは当時パリに来ていた「イタリア人劇団」と一緒に仕事をしていて、
『奴隷の島』も彼らのために書かれている。「イタリア人劇団」は、
まさにあのコメディアデラルテの身体性をマリヴォー劇に提供していた、というか、
その身体性がマリヴォー劇の真髄であったともいえる。

マリヴォー劇が「イタリア人劇団」から「フランス人劇団」(いまのコメディー・フランセーズ)に取り込まれていく過程で失っていった、その身体性を、ストレーレルが『奴隷の島』に甦らせた・・・

というわけで、ちょっと長くなっちゃたけど、遠い遠い記憶から、
あの時の感動が少しくらいは伝えられただろうか・・・

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